松濤 明 3

 陽は西に没し去って黄昏が迫ってきた。「ビバークしよう」と、ある大木の根方に荷を下ろした。
 おお、光が失せてゆく、一日が消えてゆく。同じ山が、光が消えるとどうしてこんなにも重苦しいものに変るのであろう。薄明りの中に巨木が化物のように浮かび出ている。見上げる梢の方は薄暮の中に煙って、その間隙から覗く空はどんよりと暗い。生温かい風が音もなく吹き寄せて、原始の世のような不気味な静寂、何者とも知れぬ巨きなものがひしひしと押し迫ってくるような感じである。静けさを破るのをはばかるように、そうっと雪を踏み固めてツェルトを被った。
 怖ろしい夜であった。さわとも波打たない四辺の空気に、魂が一滴一滴吸い取られてゆくような気がした。この世のものと思われぬこの闇の中に、自分のツェルトのみがほんのりと浮き出ているのかと思うと、たった一本の蝋燭をともしていることすらが無性に怖ろしかった。
 雪を溶かして水を作り、もうぼろぼろになりかけている持参の焼飯を手早く流し込んで、闇との息苦しい神経戦から免れるためにすぐ眠りにかかった。

 問答はそこで終った。何の要件も切り出されなくて、私は少々張り合い抜けがした。
 いきなり彼はおかしな質問をしたものだ。
「ウチの会の奴ら行ってませんでしたか」
「……?」
 ウチの会? この男は一体何を言うのだろう。初対面の相手に自己紹介も抜きにして――
 私がその顔を諳じていなければならない理由でもあると言うのだろうか? 私は急に不愉快に感じながら訊き返した。
「どちらの会ですか」
 ところが驚くべきことに、これに対して彼は符牒をもって答えたものだ。私に判らない符牒で――。何か南瓜の親類のような符牒で――。けげんそうな私の面持ちをあわれむように彼は注釈を加えた。
「クラブです[#「クラブです」はママ]」
 ああそうだったか、それなら最近聞いてはいるが、私はどうにも不愉快になってきたので口をつぐんでしまった。
 山に行く人々がお互いに分けへだてなく話し合えることはできないのだろうか。そこには自ら礼儀が保たれねばならない。山に行く人間だからではない、人間だからである。うちの会ではどうやっていてくれるだろうか。私は若いGたちの顔をもう一度そっと思いうかべた。

 甲府で駅弁を買いそこね、小淵沢のチャチなチラシで朝食をしたため、初めから終りまで顎を出した一日。大門沢下部では複雑な地形に手痛くほんろうされる。両俣とも被った滝に入口を扼された顕著な二俣を右に入り、烏帽子状ピークのガリーを登ってピーク背後のリッジへ出た後、リッジをバットレス下へと辿る。
 腹がへって目が廻りそうなので、赤岳へ最短コースによって登るべく、バットレス正面やや右寄りのチムニーに入ったところが、不精の天罰てき面、とたんに雨をくい、チムニー上部で苦心した。リッジは這松で、主に左側を登って北峰に達す。